女郎うなぎ名前の由来 見出し

当家の先代善兵衛の親友某氏が、宿望の「伊勢神宮」へ行った帰りに後日の思い出にと、江戸は吉原の廊に立ち寄った所、相手の花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜となってしまいました。そこで男は大枚を投じて身受けをして小川の町に連れ帰ったまではよかったのですが、我家には妻がおりますので思うにまかせず、思案に余り当家先代の善兵衛の侠気に委せたのでした。 善兵衛は早速我が家に引き取り親身も及ばぬ慈しみといたわりで救いの手を差しのべましたので彼女も又、安住の喜びに一意専心家業の手助けに忠実に働きました。

女郎うなぎ名前の由来 見出し

年を経るにつけ、兎角病床に親しみがちであった彼女がある時、善兵衛を枕頭に招いて終生の恩返しにと花魁の生家に伝わると言う、うなぎの蒲焼の秘法極意を教え、これにまつわる悲願をかなえていただきたいと言いのこして大往生を遂げたとの事です。花魁が伝えた鰻料理だから「女郎うなぎ」と称し先考又心機一転実業を改めてこの元祖となり代々相次いで六代目の現当主に至ったしだいでございます。

女郎うなぎ福助を訪れた多くの有名人 女郎うなぎ福助を訪れた有名人 見出し

女郎うなぎ福助はかつては割烹旅館で、これまで数多くの著名人の方々にご来店いただいております。「蒲団」や「田舎教師」の作品で知られる明治・大正を代表する文豪田山花袋や、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される幕臣山岡鉄舟も滞在されております。

また、現代に入ってからも有名脚本家の方、芸能リポーターなどTVで活躍する数多くの有名人の方から、皇室の方まで女郎うなぎを食していただいております。

女郎うなぎ福助は明治時代に建てられたお店です。ノスタルジックな雰囲気をお楽しみください。

女郎うなぎ福助は江戸時代安政2年創業。かつては割烹旅館で、その名残りを入口天井の干支の彫刻や、廊下天井の扇張りなど随所に見てとることが出来ます。現在のお店は明治時代に建てられました。店内のいたるところに時代を感じられ、食だけでなく女郎うなぎ福助のそのノスタルジックな雰囲気を楽しむことが出来ます。

女郎うなぎ福助 玄関口の飾り天井 女郎うなぎ福助 店内いけすの赤い橋(渡れます) 女郎うなぎ福助 廊下の飾り天井
女郎うなぎ福助 鳥の形に型抜きされた漆喰の壁 女郎うなぎ福助 趣のある照明 女郎うなぎ福助 昭和レトロの雰囲気漂う電話機